アセマネ業界研究📊

アセットマネジメント業界についての情報を発信します。

日本のヘッジファンドはなぜ存在感に乏しいのか

ヘッジファンド」とは、様々な運用手法を駆使して、相場の上げ下げに関係なく「絶対リターン」を追求するファンドのことです。f:id:tenshoku66:20230518203929j:image

和製ヘッジファンドのアジアでの地位が低下している

運用者としての日本のヘッジファンド業界は残念ながらグローバルな存在感に乏しい。ヘッジファンドへの投資家としてのジャパン・マネーの存在感とは比較にならない。
短い歴史を振り返ると、2000年代前半のヘッジファンドの機関化初期、日本のヘッジファンドは指で数えられるほどごく少数だったが、日本株相場が底打ちした2003年から2006年にかけて、日本株ロング・ショート・ファンドが続々と誕生し、和製ヘッジファンドと呼ばれるようになった。
CBアーブの低迷など欧米ヘッジファンドの運用キャパシティが懸念され始めたこともあり、ヘッジファンド業界の新たなフロンティアとして日本が期待を集めた。和製ヘッジファンドのいくつかはFOFなど海外投資家からの資金配分を原動力に急成長したのである。
戦略的にはファンダメンタルな銘柄選択を行うオーソドックスなロング・ショート戦略やイベント・ドリブン系がほとんどで、結果的に“中小型株ロング・大型株あるいはインデックス・ショート”というエクスポージャーを有していた。
ところが、2006年のいわゆるライブドア・ショックを契機に多くのファンドのパフォーマンスが悪化した。アジア圏の台頭はめざましく、世界の投資家は日本をパスしてアジアexジャパン(日本を除くアジア)に向かった。アジアのヘッジファンド業界を草創期から支えてきた有力プライム・ブローカーは、毎年秋に東京で大規模なキャップ・イントロのイベントを開催してきたが、2012年からついに会場をシンガポールに移している。
しかしながら、リーマン危機後、新たな胎動もある。金融危機後に縮小・撤退したプロップ・デスクで経験を積んだ“第三世代”と呼ばれる新興運用者である。
大手投資銀行などのプロップ・デスクに勤務してきた人材には公式のトラックレコードはない。だが、そうしたポジションで長期間にわたって資本を与えられてトレードを続け、キャリアアップしてきたという経歴が実績を物語る。その多くは、クオンツとしての高い素養を持ち、なおかつトレーディング能力に優れ、パフォーマンスに厳しいという点で、従来の典型的なストック・ピッカーとは異質だ。
大手投資銀行のトレーディング・フロアとはまったく異なる環境で運用を行うため、かつて成功してきた手法が必ずしも成果を生まない可能性もあるが、こうした若い世代から、グローバルに活躍する人材が台頭してくることが、これからの日本のヘッジファンド盛衰のカギを握っているといっても過言ではないだろう。

日本の運用会社は、「金融機関の子会社」が多い

年金基金などわが国機関投資家の間でも、ヘッジファンドを中心としたオルタナティブ投資が着実に浸透してきた。しかし、相変わらず国内の販売会社・運用会社が持ち込んでくる国外マネジャーへの運用委託が一般的であり、国内の潤沢な待機資金のためにさまざまなファンドが輸入されているのが実態だ。
専門性の高いオルタナティブ投資は、金融商品というよりも運用のアウトソーシングであり、なおかつマネジャーに成功報酬が支払われる点に特徴がある。マネジャーが顧客である投資家に対して絶対リターンを提供したときにはじめてマネジャーも成功報酬を獲得することから、運用規模拡大に対する経営インセンティブが働きがちな伝統的投資と比べて、投資家利益とマネジャーの利益が合致する優れた仕組みである。
だが、輸入中心の日本のマクロ・ポジションをよくよくみると、グローバル市場に対する最大規模の流動性供給者・リスク負担者となっていると考えられる。
日本からの資金を運用する海外のヘッジファンド・マネジャーたちは本邦投資家のリスクテイクのおかげで、成功報酬を目指した運用をすることができる。運用リターンに対するポジションとしては、マネジャーはコール・オプションをロングし、投資家はそれをショートしている(しかもプレミアムなしに)に等しい。
さらに、ヘッジファンド投資家が負担する運用報酬以外の経費の受け手となるサービス提供者はすべからく海外のプレイヤーであるし、それらの収益に対して日本国政府は課税できない。
わが国は、世界最大規模の債権国として、グローバル市場にリスク資本を供給する立場にある。資本をグローバルに投資して、良質な対外資産を運用しながら国内経済に還元することはわが国の将来にとって不可欠の課題である。
ことあるごとに金融再生が叫ばれるものの、議論の主役は相変わらず銀行・保険・証券であり、資産運用業は置き去りの感が否めない。そもそも日本の大手資産運用会社は、外資系を除けば銀行・保険・証券の子会社であり、運用リターンにこだわる企業文化を確立しているとは言い難い。
資産運用産業は、過去のストックが積みあがった成熟経済の金融インフラとしては重要であり、金融規制が間接金融機関によるリスク・マネー供給機能を制約する環境ではなおさらである。
ヘッジファンドをはじめとする専門的な資産運用事業を育てていくためには、グローバルな枠組みと整合性のとれた規制・税制などの事業環境整備が大切であることは論をまたない。結果が数字で明確に出る資産運用業はグローバルな競争力がないと勝負にならないのは明らかである。しかし、それは野球にたとえるなら、いいプレー・いい試合をするためにルール・ブックとグラウンドの整備が必要という類の議論である。
わが国資産運用業界をより活性化させて、国際競争力を向上させるための主役はあくまでも運用会社と投資家であることを強調しておきたい。いかにすばらしい環境が用意されても、そこでプレーするのは運用会社と投資家なのである。
運用会社がグローバル基準で遜色ない運用サービスを提供するために一層の努力を続ける必要があることはいうまでもない。しかも、出遅れを取り戻すためにはそれだけでは足りず、将来を見通して近道を選んでいくようなセンスというか“something”が必要だ。そして、そうした胎動を結実させるためには、わが国投資家による意識改革と、各自の判断に自信と責任を持った行動こそが、どうしても必要だと思う。
米国の大学財団は資産の大半をオルタナティブに配分しているが、投資先マネジャーとの取引期間は長い。あるトップクラスの財団は平均投資期間が17年だという。顔が見えて、意思疎通が十分にはかれるのだろう。
長く深い信頼関係に裏打ちされたプロフェッショナルな対話は、双方にとって、運用パフォーマンスだけでなく、さまざまな副次的効果をもたらすことだろう。マネジャー・スキルに依存するオルタナティブ投資は、巷にあふれる“旬の金融商品”ではない。
終わることのないマーケットとの勝負に一緒に臨むパートナーなのである。